自分自身にドライブだと言い訳してるけど、心の底では、全てを捨て去って山奥で人目を忍んでヒッソリ暮らしたいとか、なんならそのまま命を落としても構わない、とか思ってる」
「・・・のっけから、随分物騒ですねぇ」
男はカップを置き、少し身を引いた。
「すみません。でもまあ、お話ですから」
店員は意に介さず、ニッコリ笑った。
「でね、日も暮れかけて、男はだんだん不安になるわけです。
いくら、『死んでも構わない』とか思ってても、やっぱり夜の山は怖いし。
おまけに、食料も水も持って来てないし。
で、ヤケになってさらに奥へと踏み入って行く。
そこで、突然足元が崩れ、転落しかけるんだけど、幸運にも木の根に掴まってぶら下がる」
「ほう。九死に一生だ」
「そう。でも、まだ助かったわけじゃない。なんとかぶら下がったものの、下は崖です。遥か下方にはゴツゴツした岩肌。
男は思わず、助けを求めで叫ぶ。声の限りに」
「そこで?」
店員は頷く。
「そう。そこで、天狗登場」
バサバサッ と、羽音のようなものが聞こえた・・・気がした。
何かが頬をかすめ、わき腹にがっしりとした腕が回されたかと思うと、次の瞬間には樹々の隙間の柔らかな地面に放り出されていた。
男は地面に転がったまま、荒い息を繰り返す。
手は縋るように土を掴み、目はきつく閉じられたままだ。
「やはり、死ぬのは怖いか。愚か者め」
男の顔の近くで、枝を踏む音が聞こえた。
おそるおそる目を開き、声の方を振り仰ぐ。
そこには。
山伏のような服装で、そびえるように仁王立ちしている大男。
いや、人間ではない。
その顔は真っ赤で、あり得ないほど長い鼻を持ち、目は爛々と光っている。
子供の頃に絵本で見たままの、天狗がいた。
男は、気を失った。
目を覚ましたのは、簡素な山小屋の中だった。
囲炉裏の側に敷いた、ムシロの上に寝かされていたのだ。
男は跳ね上がるように身を起こし、壁際まで素早く這い進むと、必死で壁にへばりついた。
囲炉裏を挟んで目の前に胡座をかいているのは、先ほど男を助けた天狗だった。
「そんなに怯えるんじゃないよ。命の恩人に、失礼だろう」
部屋の隅から、嗄れた声が聞こえた。
光の当たらない暗がりから、小柄な老婆がヒョコヒョコと出て来た。
絣のモンペを着て、頭には手ぬぐいを被っている。
土間から畳へ上がり、腰に垂らした手ぬぐいで手を拭きながら、男の方へにじり寄ってくる。
やっとの思いで、男は声を出した。
目は天狗を見据えたままだ。恐ろしくて仕方ないが、視線を外せない。
「・・・こ、ここは・・・どこですか」
「ここかい。ここは、天空村」
老婆はそう言って、ニンマリと笑った。
「別名、天狗村と言われてるよ」
息をのみ固まる男に、天狗は容赦無く近づき右の拳を上げた。
「今日一日の記憶を消され、下界に戻り今まで同様に暮らすか」
左の拳も振り上げる。
「この村に留まり、皆と共に新しく生きるか」
両の拳を男の前に突き出した。
「どちらかひとつを選ぶのだ」
「あら、もうこんな時間」
男は腕時計を確認した。もうじき5時になる。
「そんな!これからってトコなのに・・・」
「ごめんなさい。私、ペース配分が下手なのよね。喋るの遅いし」
顔の前で手を合わせ 拝むポーズをしながら、店員は少し早口になった。
「例によって、端折ります。えっと、結局男は、村に留まる方を選ぶの。
記憶を消されるのも、今までと同じ暮らしに戻るのも嫌だったし、もう一度死ぬ気にもなれなかったから。
この村は、実は現代版忍者の隠れ里。修行生活は、早起きして運動・畑仕事や家畜の世話。村の外から仕事を請け負ったりもする。
夕方からは村民みんなが集まって、質素だけど栄養満点の夕食。そして、寛いで銘々にお喋り。解散して、夜の鍛錬。そして、就寝。そんなシンプルな暮らし」
「現代版忍者か。悪くないね」
男はもう、忍者ぐらいでは驚かない。
「ふふ。そんな暮らしが何年か続いて。ある日、男は再び天狗の訪問を受ける。
あ、普段天狗は、村にあまり顔を出さないの。山のもっと奥に、ひっそり暮らしてる。
でね、天狗は、男にある物を託すの」
「お前に、渡すものがある」
天狗は男を見下ろした。
男はもう、天狗を恐れてはいない。深く敬っているだけだ。
天狗は、小さな革袋を男に手渡した。
「天狗の滋養豆だ」
それは、(天狗村)天空村特産の、豆だった。
この村の人たちの恐るべき身体能力や厳しい鍛錬に耐える力の源は、この豆なのだ。
「何故、これを私に・・・?」
「うむ。お前もそろそろ、鍛えられてきたようだからな。この豆を受け入れられる身体になっているはずだ。
それはな、わしが特別に育て続けた種だ。村で栽培しているものより、強い力を持っている。栄養価も、繁殖力も強い。・・・食べてみろ」
男は初めて、その豆を一粒食べた。
今まで、それを食べることは許されていなかったのだ。
「飲み込むのが早いな。もっとよく噛んで食べないと、充分に栄養を摂れない。もったいないことだ」
男は頷くと、もう一粒食べた。今度はゆっくり、何度も咀嚼した。
「そうだ。そのくらいよく噛めばいいだろう。
特にその豆は、非常に滋養が高いから、ちゃんと噛まないと腹を壊す」
「はい」
「その豆だけではない。我々は、別の生き物を殺して喰っている。自分が生きるために他のものの命を頂いているのだ。だから、食べ物に感謝して充分に味わい、余すこと無く摂取するのが、食べる側の責任なのだ」
「・・・はい」
天狗は語った。
自分はかつて、土であり空であり木であり土であり風だった。
要するに、全ての物であり、また どれでもなかった。
ある日突然、肉体の枷を着せられ、ここに現れた。
だがそれも、もうすぐ終わる。
自分はこの肉体の寿命を終え、もとの全てに戻る時が近づいている。
肉体は消滅するが、残すべきものを遺すべきものに渡したい。
「あなたは、死を恐れてはいないのですか。寂しくはないのですか」
男の問いに、天狗は笑った。
「恐れ?寂しさ?何故そんな風に思う?
私はこの身体で、充分生きた。信頼出来る仲間達と共に。
世代交代する彼らを見送りながら、世を継いで私は1000年も生きた。それは私の誇りだ。
その誇りを持って、また、元の私に戻るだけだ」
「でも私は、あなたを失うのを恐れます」
「そうか。では、覚えておけ。
全てのものは、繋がっている。これからもワシは、お前と共にある。
お前をとりまく自然の中に。お前が殺し食す、食べ物に。お前を潤す水に、宿っているのだ」
「・・・覚えておきます。それから、私の記憶の中に、私の精神の中にもあなたが宿り続けていることも」
天狗は嬉しそうに笑った。
「やはり、お前に豆を渡したのは正解だったな」
「やがて男は、その豆を加工して簡易食品やサプリメントを作り出す。それを食糧難にあえぐ地域へ寄付し、世界を飢餓から救うの」
「・・・ほう。そう来ますか。壮大な話だな」
男は夢みるような表情で言った。
「ふふ。一週間もあったから、いっぱい詰め込んじゃいました」
「・・・ありがたいね。それで、その天狗印の食品なんかと共に、天狗の教えも広めていくわけだね?」
「そうそう」
店員は嬉し気に頷いた。
「でも、様々な企業や国から妨害されるんです。貧しい国から搾取しているようなところから。でもそこで、忍者スキル発動」
「あははは。なるほど!で、村人一丸となって?」
男は手を叩き、少年の様な表情で弾けるように笑う。
「うふふ、その通り。もうそ・・・イメージトレーニングのコツを掴んできましたね?」
危うく吹き出しかけ、男は上目遣いで店員を窺った。
「・・・今さ、『妄想』って言いかけなかった?」
「いえ。言ってません!・・・ギリセーフ、ってことにしといて下さい。・・・あくまでも、お祈り・イメトレですから」
ふたりの笑い声が、店内に響いた。
「あっ!」
店員が、突然声をあげる。
「ん?」
「・・・腹筋と腕立てのところ、話すの忘れちゃった」
悔しそうに言うのを見て、カフェ・オ・レの最後の一口を飲もうとしていた男は、カップの中に吹き出した。
「イヤ、そんな無理に入れなくても」
急いで紙ナプキンを取って、顎に垂れたしずくを拭う。
店員は、頬を膨らませた。
「駄目です。だって、日課だもの」
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